『翼を広げて』 SIDE-A | 旧・どブログ

『翼を広げて』 SIDE-A

050511


その12
(前回までの話は、こちら

~旅の日記~
【4月16日
自分がものすごくちっぽけな存在に思えてくる。こうして大自然を目の前にして、静かに目を閉じる。大きく深呼吸。ふぅーっ。身体中にエネルギーがみなぎってくる気がする。
自然ってスゴイ。何千年、何万年もかけてこうして出来上がったみごとな芸術作品。人の心を揺さぶるには充分すぎるほどの圧倒感だ。それでいてちょっとほっとするやさしさもある。
こんな大自然がそこらじゅうにあるアメリカってやっぱりスケールが違う。】

「なんだよ、この大きさは……」稲田はそういうと言葉を失った。僕は言葉どころか、さっきからため息しか出ない。谷底まで1マイル、1.6キロだ。
グランド・キャニオン。写真では見たことがあるこの景色も、実際に目の前に広がるととんでもない大きさだ。恐怖心すら覚える。風の音がまるで地球そのものの声みたいに聞こえてくる。
「うわっ、すごい……」
僕らを追ってやってきたリリーとマユも目の前の景色に目を奪われていた。
「なんだか、あたし自分がすごく小さな存在に思えてきちゃう」マユが言う。
「俺もさ。いや、この景色を見たら誰もが思うんじゃないかな。なんかつまらないことくよくよ考えてることがすごくバカらしく思えてくる」
「いまあたしたちがこうしている間でも、きっとどこかで争いが起こってると思う。ちょっとした考え方の違いだとか、文化や宗教の違いで、正しいとか間違ってるとか言って。それってすごく空しいことに思うんだ、最近。テレビをつければ暗いニュースばっかりで、見ているだけで心がすさんでくる映像ばかり」
「うん」
「このツアーだって世界中から見ず知らずの人たちが集まってくるわけじゃない? 価値観の違う世界の人たちがさ。でもこうして旅をするうちに打ち解けて、みんな同じ人間なんだってことがわかる。こういうすごい景色見て、感動して、自然の偉大さを感じて、人間なんてすごく小さい存在なんだってことがイヤでもわかって。世界の国と国が争うことなんてすごくバカみたいに思えてきちゃうんだけどな、あたし」
「そうだよな」
いつの間にか、ツアーリーダーのジョンをはじめ、みんなが一列になってこの景色を眺めている。みんなが景色に目を奪われ、ため息をつき、歓声を上げる。
ドイツから来たマルコとベックはまだ学生だ。二人はこのツアーでは一番若く21歳。一方、スイスから来たロジャーは38歳、最年長だ。ドイツに五年住んでいたというロジャーはドイツ語も堪能で、この三人はいつも一緒に行動している。若かろうと、年をとっていようと、まったく年齢差を感じさせない。旅をして感動する心、楽しむ心にまったく差はない。みんな同じなのだ。
「明日はここを下まで降りるんでしょ?」マユが尋ねる。
「そうだね。明日は日が出る前にここを降りていくんだ。下からの眺めはどんな感じなんだろう? 今からワクワクするよ」
「そうね。でも、あたしちょっと不安なんだ。体力的に。みんなのペースについていけるかどうか……」
「自分のペースで歩けばいいよ。俺がついていてあげるから。無理にオーバーペースで歩くと、帰りが登りだから体力持たなくなるからね。降りる時には少し緩めのペースの方がいいと思うよ」
「うん。だけどみんなに迷惑かけないかな?」
「そんなことないって。みんなそれぞれ自分のペースで旅してるんだし、この旅はそれぞれ自分のものなんだから。誰かに気を使ってちゃ思う存分楽しめないよ」
「そうよね。わかった。自分のペースで歩いてみる。隆志くん、本当に一緒に歩いてくれる?」
「もちろん」
そういうとちょっと不安そうだったマユの顔に笑顔が戻った。彼女の笑顔はとてもきれいで、見ているこっちが心和む素敵な笑顔だ。
「稲田とリリーは?」
「さっきお土産屋さんを覗いてたわよ。あの二人、遠距離恋愛だったんでしょ? すごいわね、あたしも昔遠距離だったけど、結局自然消滅しちゃたんだ。距離が遠いと心も遠くなっちゃうのよね」
彼女の言葉で、ふと真奈美のことを思い出した。忘れていたわけではないが、ラスベガスへ移動して以来ずっとメールしてない。真奈美は何してるだろうか? 彼女は僕がいなくてやっぱり寂しい毎日なんだろうか? ふと彼女のことを思うと、不安がよぎった。
「隆志くんは彼女は?」
「彼女? 東京にいるよ。彼女をおいて稲田と二人で日本を飛び出しちゃったからね」
「そうなんだ。彼女はいくつ?」目をきらきらさせて、興味津々で聞いてくる。
「同い年だよ。ずっとクラスもサークルも一緒で、いつの間にか二人で一緒にいるのが自然な関係になって、それで付き合い始めたんだ」
「じゃ、今年社会人一年目?」
「そうだね。旅行会社に勤めてる」
「女の子は環境が変化する時って、すごく精神的に不安定になるからね。一緒にいてあげないと彼女どこか行っちゃうかもしれないよ」マユは言った。
「そんな大胆なことできる子じゃないから、大丈夫だよ」
「そうかなぁ。でもいいなぁ、そんなに信用されてて。あたしもそんな心の広い素敵な彼が欲しいな」
「今は彼氏、いないの?」
「この半年ずっと一人。あ、でも遠距離で会ってない期間があったから、半年以上だね。何か今までの自分を変えるきっかけが欲しくて、このツアーに申し込んだんだ。これをきっかけに新しい自分を見つけたかったし、もしかしたら素敵な人とめぐり合えるかもしれないと思ってね」
「そっか。自分探しの旅なんだね。あ、自分だけじゃないか。誰か素敵な人がいたらその人もついでに探しちゃおうということだもんね」
「あたしって欲張りかな?」
「そんなことないんじゃない。とにかく飛び出してみたその勇気がすごく素敵だし」
「嬉しいな、そういってくれると」
「ところで、誰か素敵な人はいたの?」
「それは内緒。あたしのど渇いちゃった。何か飲み物かってくるね」
マユが飲み物を買ってもどってくると、そろそろサンセットだと稲田が教えてくれた。僕たち四人はサンセットポイントまで巡回バスで移動した。もうすぐグランド・キャニオンが夕陽に染まる瞬間がやってくる。
さっきお土産屋で買った絵葉書はグランド・キャニオンのサンセットの風景だ。今から僕たちが見る風景を真奈美にも見せたい、そう思って買った葉書だ。
サンセット・ポイントにはツアーメイトが全員揃っていた。それだけじゃない、とにかくサンセットを見る人でその場はごった返していた。
西に沈んでいく夕陽がオレンジ色に染めていた。その風景は絵葉書のそれとまったく同じ景色だ。いや、目で見ている今の景色の方が数倍美しい。風の音、空気の香り、そこに集う人のざわめき、そういったすべてのものがこの数分間のサンセットを彩っている。
「すごくきれい」
「すごいや」
リリーと稲田が、放心状態で言葉を吐く。
隣に立っているマユを見た。彼女の目にはうっすらと涙が浮かんでいた。夕陽が反射してオレンジ色の涙になっている。
「どうしたの?」
「すごく、すごく、きれいで、ちょっと胸がキュンとなって……なんだかわからないけど、涙が出てくる」そういいながら、表情は笑顔だ。
僕らは太陽が沈んでしまうまで、ずっと目が釘付けになっていた。

日が暮れると周囲を暗闇が包んだ。これからキャンプ地までまたバスで移動だ。
日が暮れると一気に気温が下がるこの場所で、今夜はテントを張って生活する。僕にとっては初めてのアウトドア体験だ。火を囲んでのキャンプファイアー。語られる一つ一つの言葉、シーンが後になって懐かしい風景となって思い出される。二度とはやってこないそんな一瞬一瞬の時間を大事に胸にしまいこみながら、この旅はまだまだ続く。
グランド・キャニオンのトレッキングは思ったよりも過酷で、いろんなドラマが待ち受けていた。

その13に続く…。
(written by yass

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この連載は真奈美側に視点を変えたSIDE-Bもあります。
SIDE-Bはこちら
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